わかっちゃいるけど止められない

 シワシワに折りたたまれた大脳皮質は、拡げると新聞紙見開きと同じくらいになるそうです。

 そして視覚野、聴覚野、言語野など機能別に50の領域に分けています(ブロードマン脳地図)。大脳皮質は直径1mm、高さ3mmの円柱状の脳神経ブロックに100~200億個のニューロンがあり、関連した機能を持ったブロックが隣接し感覚情報、情報記憶を並行して処理しています。

 神経細胞の樹状突起で神経伝達物質受容体が神経伝達物質を受け取り化学反応をおこすと、興奮が軸索を伝わって軸索の終端で神経伝達物質を放出する。これを別の神経細胞の樹状突起で神経伝達物質受容体が神経伝達物質を受け取り・・・という過程がドミノ倒しみたいに連鎖反応して脳は動いているということでしょうか。

 神経伝達物質は、やる気・ワクワクを出すドーパミン、幸せを感じるオキシトシン、癒しのセロトニンなどなど、これを薬を使わず自由にコントロールするには愛の力しかないですかね。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などセンサーで受け取った刺激が脳に運ばれて、次々とドミノ倒し的に化学反応して筋肉を動かして声を出したり物をつかんだりと生きていくの必要な行動をしているというイメージでしょうか。

 呼吸をするとか、心臓を動かすとか、血圧とか、体温とかそれぞれ中枢的な役割をするブロックは自律的に連携を取り合って無意識に生命維持をしている。言い方を変えると、意識して心臓の動きを止めようとしても止めれない。

 意識とは自分の喜怒哀楽の感情であったり、行動を決めたり判断したりするものとされています。

 ところが、意識で行動しているように見えて実は意識する前にすでに脳が動いて決定がなされていて、その決定を後から私という意識が確認しているということが確認されています。

 いつどんな決断をしようと思うのかのすべてが、意識する前には決まっているとすると、そもそも自分の意識には自身の行動を決める力はなく、動く自分や世界をただ見ているだけの傍観者に過ぎないそうです。

 自分の意識がリアルタイムで決断していると感じていることは、実際には無意識に下された自分の行動に合う丁度いい理由を、都合よく意識が考え付いているだけといえます。

 意識というものは脳の活動の結果生み出された受動的な幻想であるという考えを、慶應義塾大学の前野氏は受動意識仮説と呼んでいます。

 脳内では無意識による膨大な数の反応が発生しており、これらが処理された後にうまく統合され、大きな1つの決断を生んでいます。

 その決断をただ眺めているのが意識であり、膨大の無意識を1つの簡単な意識にまとめることで、エピソード記憶を可能にしているのです。

 意識にその瞬間の行動を決定する力はありませんが、その経験を通して意識はエピソード記憶を生成し、次回から脳が判断を下す際の材料としたり、長期的な目標を立てたりできるようになります。

 つまり人間という複雑な生物に進化していく過程で意識が生まれ、エピソード記憶という能力を手に入れてきたのではないかと考えられるのです。

 非情に興味深い話です。別の本で読んだ知識ですが、無意識にいろんな考えが並列的に勝手に造られて、多数決で決めるそうです。

 意識的に行動しているようで実は無意識に行動していて、無意識が決めたことを意識が追認している。植木等のスーダラ節「〽わかっちゃいるけど止められない~」は人間の本質をわかりやすくコミカルに伝えてくれるような気がします。

 こんな話は知っていても知らなくても生きていけるんですが、意識して行動していると思っていたけど実は行動させられていた。

 全ての行動が生存して子孫を残していくために生きているとも言えるような気がします。

 動物の究極的な目的は子孫を残すことと言えないでしょうか。

 そう考えると私の人生はもう終わっています。

 こんな複雑な仕組みが自然に生まれたというのは奇跡というしかありません。