南無阿弥陀仏・・信ずるものは救われるかも

煩悩まみれですから

 全ての欲を煩悩としてしまうわけにはいきませんが、人が生きていくうえで必要不可欠なものです。食欲がなければ飢え死にしますし、性欲がなければ子孫は残せません。現代が快適に暮らせるのもよりよい生活をしたいという煩悩がもたらしています。死んだらどうなるのという漠然とした不安も、貴方は末期がんで余命は半年ぐらいですと言われてはじめて切実とした煩悩に変わります。

 人は生まれて死ぬまで煩悩に苦しめられ、生きることをあきらめたときに全ての苦しみから解放されて悟りをひらき無になるんだろうな・・

悟りを開いたブッダ

 約2,300年前に釈迦は人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家し、苦しい修行の末、悟りを開きブッダ(悟りを開いた人/成仏)になりました。宗教というよりも哲学的でブッダは仏教という特殊な宗教を説かず、教義をもつこと自体を否定したそうです。

 仏教の教義は釈迦の口伝を弟子が書き残した教えが世界に広がる中でそれぞれの文化や政治や経済の影響を受けて進化してきたようです。

 釈迦が生まれた紀元前3世紀以前から、人が感じる生きる無常や苦痛は変わらないようで、キリスト教やイスラム教なヒンズー教どのように神に救いを求める信仰は古代からあり死生観も民族性があるような気がします。やっぱり死んだらどうなるのというところ、裏返すとどう生きたらいいのというところが宗教の本質でしょうか。

日本の仏教

 日本には天皇を正当化する口伝の古事記をルーツとして神道がありましたが聖徳太子の頃から仏教が民衆のコントロールに使われ神道と仏教が共存し融合(神仏習合)して現在にいたります。

 インドからシルクロードをたどって日本に流れて仏教は変容しながら、それぞれ悟りを開き成仏するための方法論の違いもありますが、その時々の政治経済にうまく合った宗派が勢力を伸ばしてきたようです。

日本仏教のいろんな宗派

浄土宗(浄土系)法然 般若信経、現世で阿弥陀物を唱え極楽浄土で修行して成仏する

浄土真宗(浄土系)親鸞 現世で阿弥陀物を唱え 極楽浄土に行けば仏になれる

融通念仏宗(浄土系)日課念仏、毎日百篇の念仏を唱える

時宗(浄土系)踊念仏(盆踊りのもと) 念仏をとなえることで成仏できる

真言宗(密教系)弘法大師 即身成仏 特殊な宗派 大日如来

天台宗(法華経)最澄 密教、修行、 決まった本尊がない

日蓮宗(密教系)日蓮 妙法蓮華経一つの教えを極める すべての人の苦悩を解決する

臨済宗(禅宗系)栄西 考える座禅(公案禅) 経典に頼らない。心の性質は仏と同じと理解し成仏する

曹洞宗(禅宗系)道元 考えない座禅(黙照禅)瞑想のなかに悟りがある

法相宗 葬儀を行わない。長い時間をかけて成仏する

律宗(奈良仏教系)鑑真 葬儀を行わない。戒律を守ることを大切にする。

華厳宗(奈良仏教系) 杜順 葬儀を行わない。一がそのまま多であり、多がそのまま一である。

 いずれの宗派も目的は悟りを開いて仏になり人生の無常感・死の恐怖や苦痛から逃れることです。

人は何を無常に感じ苦痛を感じるのでしょうか。

 仏教では生老病死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦など四苦八苦で人間だれしも108くらいの煩悩を持ちこの苦痛から逃れることはできません。

動物の行動原理

 あらゆる生物に共通する行動原理は食物と安全な場所を見つけようとする正の走化性と何かに食われないよう逃げる負の走化性に単純化されます。その衝動がない生物はあたりまえに絶滅します。

 快楽を求め性交し子孫を増やし恐怖から逃げることで身を守る。これは大脳皮質前頭前野と中脳の側坐核の報酬系中枢と偏桃体のネットワークでコントロールされ無意識に自動実行されています。

 自動実行プログラムは幼少期の環境や体験で価値観や潜在意識がで形作られ人の行動は95%が潜在意識で無意識に行動していると言われてます。人の脳は神経の塊で生理学的に電位差で興奮するかしないかで機能していますし、記憶も海馬というところでコントロールされてます。パソコンの基本プログラム(OS)がするように脳も聞く、見る、記憶する、計算する、出力する(体を動かす)など基本のところは大脳皮質以外のところが受け持って無意識のなかで自動実行されています。

体に染みついた浄土真宗

 私は仏教徒の自覚はありませんが浄土真宗の南無阿弥陀仏のお経を意味もわからずありがたいと思いますし、あの世があるんだと潜在意識に刷り込まれてお盆にはお墓参りしてほっとします。

 親鸞が開祖した浄土真宗は蓮如によって発展しました(信者は約1,600万人)。当時は、法然が開祖となった浄土宗は良い行いをしていると死んだ後に極楽浄土へ行けるといった浄土信仰。

 簡単にわかりやすく言うと信仰心の強さである念仏の質と量によって救われるという自力本願の大乗仏教が主流でした。その中でも親鸞が開いた浄土真宗は 罪悪人であろうが信心を持って念仏を唱えれば誰もが救われるという当時の仏教界では極端すぎて異端とも呼ばれていました。*阿弥陀如来(極楽浄土へ導く仏)

蓮如プロフィール

 親鸞の死後浄土真宗を発展させた第8世の蓮如のプロフィールと当時の歴史背景を年表形式で紹介します。

出身地:京都、本願寺教団中興の祖

生年月日:1415年4月13日

死亡年月日:1499年5月14日(享年満84才)

 蓮如は5人の奥さんをむかえ27人の子どもがいた(不幸なことに、奥さんがいずれも次々と早くに亡くなってしまった)肉食妻帯を実践

1262年 浄土真宗(罪悪人であろうが信心を持って念仏を唱えれば誰もが救われるという宗教)開祖親鸞の入滅。他力本願や絶対他力のような考え方は当時の仏教界では極端すぎて異端とも呼ばれて宗教の本質を捉えた親鸞のリデザインはまさに革命的

1272年 親鸞の墓所「大谷廟堂」を建立する。

1321年 覚如が再度寺院化を試み、「本願寺」と号し成立する

1415年 蓮如、本願寺第7世存如の長男として生まれる

1431年 興福寺大乗院で学びお経を書写する。(17才)

1436年 第六世巧如の長男の存如に本願寺を委譲し、存如が第七世となる。また、存如により、本願寺に阿弥陀堂と御影堂の両堂が建てられた。だがこの時の無理が影響し、本願寺の財政は逼迫する。

1457年 存如が亡くなるとその後を継ぎ本願寺第8世となる(42才)

1465年 このころの本願寺はまだ天台宗の末寺で天台宗の総本山比叡山延暦寺とはもめることが多く、その圧倒的強大な力の前にかなり苦しむ。比叡山延暦寺が本願寺と蓮如を仏敵と認定し蓮如は武力でプレッシャーをかけられ、延暦寺からは和議が提案され仕方なく受け入れる(蓮如の隠居、長男順如の後継ぎ候補排除)。(50才)

1467~1477年 応仁の乱、将軍の後継者争いが長期化で守護代が戦力を消耗した守護大名を倒す反乱が横行し下克上の戦乱の時代へと突入。当時の戦いの主流が放火で京都は火の海と化し鹿苑寺や清水寺などといった京都の名だたる寺も消失。

 また、農村の生産力の増大と、荘園領主の没落で、農民の地位はしだいに向上し、やがて自治的な惣村をつくる(惣村による一揆が土一揆)。蓮如はこうした社会の動きに機敏に対応し、積極的な教化を開始した。蓮如の熱烈な伝道に共感する門徒は、近畿から東海地方に拡がりをみせる。

1471年(56才)吉崎御坊を建立(福井県あわら市)

1483年(68才)山科本願寺落成(京都市 山科区)

1488年(73才)加賀一向一揆(宗教一揆)起こる。

 本願寺は、民衆が支配者に対して展開した解放運動のささえとなり、社会変革の思想的原動力となる。この間に、教勢は著しく発展し、日本有数の大教団として、また一個の強力な社会的勢力としての地位を得る。

1489年 蓮如は5男の実如に本願寺を委譲し、実如が第九世となる。

1496年(81才)大阪に石山御坊建立(蓮如の隠居所として建立された小規模な坊舎)

1499年(84才)蓮如亡くなる。第十世証如・第十一世顕如が本願寺宗主を務める。この100年間は、戦国混乱の時期にあたる。

1592年 阿弥陀堂を新築し「本願寺」が完成するが教団の内部分裂は継続。信長との講和を支持する勢力(穏健派)と、徹底抗戦を主張する勢力(強硬派)とに分裂していく。

1570年 最大の宗教的武装勢力である本願寺勢力と、天下布武を目指す織田信長との軍事的・政治的決戦。織田信長は摂津石山の本願寺に退去を要求するが、本願寺の顕如はこれを拒否。諸国の門徒に蜂起を命令し信長を攻撃し合戦は10年間にわたった。本願寺は落城しなかったが門徒の退城で講和する。引き渡し直後に石山本願寺は出火し焼失。

1571年 織田信長比叡山を焼き討ち(天台宗寺領の領地争い)する

1582年 本能寺の変

1586年 豊臣政権確立

1602年 浄土真宗勢力拡大を恐れた徳川家康により教如は京都の七条烏丸に東本願寺を建て、本願寺は東西に分かれることとなった。

 信長の死の直後に顕如と教如は朝廷の仲介により和解するが、顕如は内紛の核となった教如を廃嫡し3男の准如を嫡子と定めた。1592年顕如が死没すると豊臣秀吉の命で教如が本願寺を継ぐが、顕如の妻、教如・准如らの母らが顕如の遺志にもとづき秀吉に働きかけたため、翌年に教如は隠居させられ弟の准如が跡を継いだ。しかしその後も教如は大坂の大谷本願寺を本拠地として、各地の門徒へ本尊の下付などの法主としての活動を続けたため、この時点で本願寺は准如を支持する派と教如を支持する派に事実上分裂。慶長7年(1602年)、

1603年 徳川家康が江戸幕府を開く

白骨の章

 このように、浄土真宗が勢力を伸ばした背景には、戦乱・下剋上の不安定な時代で戦いに巻き込まれていつ死んでもおかしく無い時代に民衆は宗教に救いを求め、宗教信仰をよりどころに時の権力者に武力で立ち向かい生活改善を求め反乱を起こしたのではないでしょうか。

 法事で正信偈読経の後に頭を下げてうやうやしく聞く「白骨の章」の、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり・・・だから、後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏を唱えましょうという浄土真宗が発展したのではないでしょうか。

 それにしても、同じ仏教徒でありながら宗派同士での勢力争いや寺領の争奪戦など悟りを開こうとする僧侶は何を考えていたんでしょう。

 親鸞の浄土真宗は「後生の一大事に始まり、後生の一大事に終わる」という教えだそうです。

「後生の解決」とは、仏教用語で、死後の世界において、他力の信心を決定(けつじょう)して苦しみから解放されることを指します。

僕なりの解釈です。

{後生の解決 とは悟りを開くということ

 なぜなら、最高の悟りを開いた状態が仏で仏になり極楽浄土へいくことが後生の一大事の解決なのだから

 悟りというのは例えば、数学的な点の定義のようなもので線と線が交わった交点があるけど見えないし質量もない、色即是空、空即是色のつかみようのない世界観なのだろうと思うのですが悟りを開いていないのでわかりませんし言語化は難しいでしょう。悟りを言語化した人がいたら読んでみたいもんです。

 悟りと対峙する言葉が煩悩だとすると煩悩は言語化できるような気がします。

 人それぞれ、個性があって潜在意識があって、生・性・物・快楽への欲があって自分のこうありたい理想像と現実のギャップが苦悩となり煩悩となっているのではないでしょうか。

 ギャップを埋めようと悪あがきするすることを執着心と呼ぶなら、それを諦めた状態が悟りのひとつかも知れません。悟り自体があるようで無かったり、無いようで有ったりするものかもしれません。

 輪廻転生が仏教のキーワードになると思うのですが、人が生まれ変わるとするなら、何が生まれ変わるのでしょうか?それは重さがあるのでしょうか?それが魂とするなら魂に重さはあるのでしょうか?魂に人格はあるのでしょうか?魂は自由なのでしょうか?

 たぶん魂は光エネルギーみたいな概念で、あるけど無い、無いけどあるみたいなもんじゃない?

 浄土宗のように善い行いや修行をすれば浄土に行けると思うとかなりハードルが高いです。誰でも、煩悩はあるし良いことも悪いこともしてるでしょう。そもそも良い悪いなんて誰が決めるんでしょうか。

 太陽があって水があって草があって草食動物がいて肉食動物がいて食物連鎖があって全体がバランスよく保たれている。肉食動物がいなければ草食動物が増え過ぎて草がなくなるし草食防物がいなければ肉食動物同士の戦いになりいずれ絶滅する。

 輪廻とは食物連鎖みたいなもんじゃないかなと思います。命は大事なので必要最低限の殺生にしましょう、そして自分を大事にして今を生ききること。来世を否定するわけではありませんが、神や仏の代弁者だと自称する煩悩まみれの預言者の言うとおりにすれば来世いいことあるよなんて命を捧げたり財産を吸い取られて極貧生活を余儀なくされては元も子もありません。

 人の理解を超えることは世の中にあります。人が理解できない自然現象を神の仕業と理解し、神の存在を信じざるを得ません。

 南無阿弥陀仏と唱えれば凡夫人も極悪人も極楽浄土に行けると信じて安心して生きましょうは凄いキャッチコピーです。

 それは本当でも嘘でもないと思えます。極楽も地獄も現世の自分の中にあるような気がします、信じ切ればすでに極楽浄土にいることになると思います。

 仏教の目的は抜苦与楽、苦しい修行などせず、理解できなくても信ずることで今が救われるなら

南無阿弥陀仏と念仏をとなえ「あるがままにいきましょう」

あってよし、なくてよし、いきてよし、しんでよし

あなかしこ、あなかしこ・・・

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