沖縄から貧困がなくならない本当の理由

読書

著者

樋口耕太郎(ひぐちこうたろう)

1965年生まれ、筑波大学比較文化学類卒業、野村證券入社、97年、ニューヨーク大学経営学修士課程修了。04年、沖縄のサンマリーナホテルを取得し、愛を経営理念とする独特の手法で再生。

ブックレビュー

 10年以上前に沖縄旅行して、走っている車が古い、道を譲ってくれる車が多い、クラクションを鳴らすマナーの悪い車がない、親切な人が多いと感心したのだが、この本を読んでその背景が少し理解できたような気がした。(お金があっても、目立たない車に乗り、目立たないように相手に落ち度があってもクラクションを鳴らない。クラクションを鳴らす方が加害者。)

 著者はバリバリの金融マンから沖縄の赤字ホテルを立て直すため派遣され、次々と改善していこうとするのだが、沖縄特有の文化からうまくいかない。

沖縄が貧困化する原因

 沖縄は貧困率、自殺率、失業率、離婚率、シングルマザー率などなどが高いのだがその根本原因がこの沖縄特有の文化(島国文化)にあるとしている。

 そして、この島国文化は本土から見た沖縄と世界から見た日本と同じという構造があることで、沖縄の貧困化が他人事ではないということである。

 経済的に豊かになれない沖縄の原因、島国文化の問題点を次のように提起している。

心優しいが、自分を愛せず自尊心が低い。

他人に合わせて行動する。

 著者は、酒を飲まずに沖縄のスナックで延べ3万人、2万時間のうちなーんちゅ(沖縄県民)との会話から分析されている。

 沖縄は県民の47%が年収200万円以下で非正規雇用率が43%。所得が低い原因としては合理的利益よりも人間関係を重視する。

 人間関係を壊さず、他人の感情を害さないよう、目立つことを避けて、同調するよう圧力がかかる。

 現状維持が鉄則で出る杭を打つ風土がある。知人の経営する居酒屋に義理立てで通い、好きでもない泡盛を呑み、行きたい美容室にいけず地元の美容室に通わなければならない。商売も勉強もお互いに監視しあい競争せず現状維持に努めなければならない。

 お金があっても、高級な車を買うと目立つので乗りたい車にも乗れない。夢を語っても家族や友人からは失敗するから止めておけと叱られ、熱心に勉強する子供はからかわれ仲間外れにされるらしい。

 優秀な人を排除し、できない人ばかりの集団で助け合い競争をしない。

 能力が上がり昇進しても周りから仲間外れにされるので昇進・昇給を望まない、自分から貧困を選択するような行動をとる人が多い。

 現状を変えようとすると仕事のサボタージュで反抗され仲間外れにされる。当然、労働生産性は低く低賃金になり貧困となる。

 自尊心の低い男たちは働く意欲をなくし、家計を支えるため女性が必死に働かざるを得なくなる。そうしないと周囲から「男を大切にしない冷たい女だと」圧力がかかるので自分が我慢すればとクラクションをならさない。これも自尊心が低いことが原因だとしている。

 これらの根底には自尊心の喪失、自分を愛せないということがあるという。

 自尊心のない人は失敗を恐れ、余計なことはしない方が良い。間違いを認めず、自分の体面を保つことを優先する。

 米軍維持のための多額の経済援助や優遇制度も、競争力がつかず自立のための援助とはなっていない。

 貧しい人が本当に必要なのは、お金ではなくお金を稼ぐノウハウを学ぶことなのである。そうでないと、いつまでたってもお金を援助してもらわないと生活できないことになる。

 沖縄の社会構造が若者から創造性を奪い労働生産性を低下させ、さらなる低賃金を生み出すという悪循環があるが、低賃金が沖縄企業を支えるという経済合理性が成り立っている。

沖縄社会の変化

 しかしながら、2010年頃より少しずつ変わってきているという。それは、匿名性のあるSNSの普及による多様な意見の発信や、少子化による人手不足が低賃金労働者や地元を優先する優しい消費者の減少による沖縄企業の苦戦と本土企業の躍進による本土化が進んでいるという。

沖縄の問題は日本の問題と入れ子構造

 これらの問題は、日本の問題でもある。世界から見れば、日本も沖縄のようなもので、世界にNo!と言えない自尊心の低い国。

 沖縄の貧困問題は、これから経済発展の望めない日本の問題と根本的に同じ。

 だから、各自が自尊心を持ち成長できる人間にならなければ日本の未来はない。

 絆、横のつながり、互助の精神は大切だが生産性の向上や競争と成長は大事、人の足を引っぱり横並びで安心するという島国根性から脱皮する必要があると思う。

追伸

 見事に沖縄のサンマリーノホテルを立て直し企業価値を買収価格の倍にした著者は、経営陣のホテル売却に反対しクビになってしまった。

 今は、事業再生を専業とする会社を設立し12年、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授となり活躍されていらっしゃるようです。