タテマエとホンネ

著者:増原 良彦(ペンネーム/ひろさちや)東京大学文学部印度哲学科博士課程修了。仏教・インド思想等、宗教について幅広く執筆・講演活動を行っている

 タテマエとホンネを使い分ける文化は日本特有のもので外国人には理解できないらしい。単一民族・単一言語・単一文化で普遍的・絶対的道徳価値がある均質社会だからタテマエとホンネを使い分けることが許されている。

 タテマエを強者の都合により反故にしてもよいという暗黙の了解、この論理は強者には優しく弱者には厳しい可塑性のあるロジックでダブルスタンダードが欠如した日本人の生活の知恵とも言える。

 例えば嘘をついてはいけないという絶対的基準タテマエは西洋にはないらしい。西洋人は平気で嘘をつく。しかし嘘を英語にするとboast(ほらふき)fib(軽い嘘)falsehood(わざという嘘)joke(冗談)lie(悪意のある嘘)と意味が微妙に違っていて嫌悪や許容されない嘘からほらふきまで日本語では嘘にまとめられてしまう。相手が敵ならば嘘は許されるが味方なら嘘は許されないという判断基準が西洋には明確にある。

 日本には敵と味方という概念よりもウチとソトという仲間か仲間でないかという概念で判断する傾向にあるらしい。

 人種も宗教も言語も違う人間が相手を理解することは難しい。だから契約が絶対基準になる。神と人間の契約が基本となる旧約聖書から発展したキリスト教やイスラム教などの海外では契約社会が当たり前だが日本人は明文化した契約は水臭いと契約はタテマエで都合が悪くなると後から契約を変更してしまうことも許される。外国人には曖昧なタテマエとホンネは受け入れがたい習慣だろう。

 日本人は必要悪・不必要善がわからない民族で戦後の無差別平等主義による人間社会の矛盾をあいまいなタテマエとホンネを使い分けて処理をしている。

 宗教や文化の違う外国人にタテマエとホンネを理解してくれというのは無理なことで日本でしか通用しないルール。良い面も悪い面もあると思うが強者には優しく弱者には厳しいこのルールなんとかならんのかなあ・・ついついホンネを言って強者に叩かれてしまいがちな○○がかわいそう!

 人によって違う価値観、ホンネとタテマエをどう解釈する?

・本当は人間は不平等に扱われている。

・すべての人間が平和と戦争のない世界を願っているわけではない。

・高校野球の体罰を認めプロ野球の暴力は認めない。(40年前の本だから今は違うかな)

・売春は必要悪。

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