世界は贈与でできている

読書

著者:近内悠太 (ちかうち ゆうた)

1985年神奈川県生まれ。教育者。哲学研究者。慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。

贈与の原理と概念

 お金で買えない必要なものの移動を「贈与」と定義し、そのお金で買えないものが何かは理解されず正体がわからない。

 この「贈与」の原理と概念を正しく理解し世界のなりたちを知ることが本書の目的としている。

 話はそれるが、著者は哲学者で「言語ゲーム」というツールを使って説明しようとしているのだが、「言語ゲーム」とはいったいなんだろうというところで立ち止まってしまう。

 言語は言葉で成り立つが言葉を言葉で説明しようとすると循環して説明にならない。言葉を使いながら言葉の意味を当てるゲームをしているうちに理解するということらしい。

 人によって経験や体験は違い感じ方も差があるから言葉の解釈も人によって微妙に違っているのだろう。

 「痛い」という言葉の意味も他人が再現できるとは限らないし理解できないのはその人の言語ゲームが見えないからで言語ゲームで理解しようとするとたくさんの人の「痛み」に対する経験や体験をすり合わせて共通する概念を言語化するということになるのかなあ。理解しようとすれば一緒に言語ゲームを作っていくしかない。

 当たり前といえば当たり前か・・・人間の脳は感覚器から入った情報と人それぞれの記憶から合成して認識しているから同じ認識はあり得ない。

 「世界は贈与でできている」(等価交換だけの世界では社会が成り立たない。)ということはどういうことか・・・

 ゼロから始まる人生、他者から無償のもの・サービスを受け取り、贈与する側は金銭的な価値に還元できない生きる意味とか仕事のやりがいなど大切なものを手に入れることができる。

 見返りを求めない贈与ではあるが、贈与を受けたものはお返しをしなければという返報性の心理が働く。その気持ちの持って行き場を探して他者に贈与するという贈与の循環が始まる。

 贈与を受けているということに気付いたときに贈与が生成される。贈与には、お金で買えない心やりつながりを持ちたい気持ちが加わっている。

ペイフォワード

 ペイフォワードという映画の話が出てくる。感動する話なのだが著者は贈与の失敗の物語と結論付けている。

 世界を変える方法を考えろという課題に主人公は「善意を受け取った一人が三人の赤の他人に善意をパスする」というアイデアを考え実行した。その活動はうまく広がっていったのだが、主人公は虐められている同級生を助けようとして殺されてしまう。

 贈与は受け取った贈与に気づきその負い目を引き受け、負い目に突き動かされて、また別の人へ返礼として贈与を繋ぐことしかできない。

 贈与を受けているということに気付いたときに贈与が生成される。贈与は受け取ることなく開始することができないものだと。これが贈与の原理の一つなのだと・・・

 贈与を受け取ったという負い目のない少年が殺されるこの悲劇は贈与の構造上の帰結だと著者は断言する。起点になれるのは神しかいない。少年は聖なる存在で供犠されたとしている。

 ペイフォワードは贈与の物語ではなく供犠の物語としている。

(私的には、少年も親に養育されており学校にも行って公的教育を受けており贈与を受けているが著者は贈与を受けていない聖なる存在とするのはなんだかなあと思うのですが)

贈与と賄賂と偽善

贈与を受け取ったという認識のない人への贈与は「自己犠牲」

未来の利益を期待した贈与は「自己欺瞞」「賄賂」「偽善」

贈与を受け取ったものの返礼は「贈与」

ギブ&テイクではなくテイク&ギブと言い換えた方がわかりやすい。テイクから全てが始まる。

 私たちは等価交換できないお金では買えないものを知らず知らずに受け取ってきている。この贈与に気づいていない人が多い。

 人と人の繋がりを強固にする贈与も、時には他者を縛り付ける力に転化する。他者との繋がりを求めながら疲れ果ててしまう事がある。例えば相手が嫌いな人ではなく良い人から儀礼的にいただく年賀状。

 贈与する側は「お返しを必要としない贈与です。」とメッセージを出しているが受け取り手は「これは返礼を期待されている」と受け取るという矛盾したダブルバインド(相手に矛盾したメッセージを送るコミュニケーションパターン)で縛られてしまう。

 相手に負い目を感じさせない贈与をするには名乗ってはいけない、しかしながらサンタクロースからの贈り物のようにあれは贈与だった、といつか気づいてもらう必要がある。

 そしてサンタクロースから贈り物をもらった子供は大人になりサンタクロースになる。贈与の循環である。

まとめ

 感謝の気持ちを込めて贈与する。感謝つまり贈与を受け取ったと気付く事が始まりで、感謝の気持ちがない人は世界は贈与でできているとは考えられないのだろう。

 安心で安全な世界を希求する善良な人が少なからずいるから、そういった人たちの贈与で世界はできているんじゃないのかな・・・なんとなくそんな気がする。

 読み返しても理解するのが困難な本でした。

 たぶん、理解できてないでしょう。

 心理学者アダム・グラントによると、ギバーにも2種類あって、人に優しいが自分も大切にする自尊心の高いタイプと心優しいが自分を愛せず自尊心が低く他人に合わせて行動するタイプ、前者のタイプが最も生産性が高い次にギブ&テイカーその次にテイカー最も低いのが自尊心の低いギバーだったという。

皆さん自分を大切にし他人も大切にするギバーになりましょう。