オードリー・ヘプバーン
ドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」レビュー
ローマの休日、ティファニーで朝食を、マイ・フェア・レディなどで有名な大女優オードリー・ヘプバーンドキュメンタリー映画である。
生前、ヘプバーンは自伝を書くように多くの出版社から求められたが、「人間はほかの多くの人との関わりの中で生きているのだから、必然的に他人についても語らなくてはいけません。そんなことをする権利は私にはないし、するつもりもありません」としてそのたびに断っている(Wikipediaより)。だから、このドキュメンタリー映画が真実を語っているかどうかわからないが、子供や孫そして友人などの多くのインタビューも撮られ証言しているので真実に近いのだろう。大女優のアイコン(偶像)としてしか知らなかったから苦悩の人生を歩んでいたというのは驚きだった。
オードリー・ヘプバーン はバレリーナになりたかったのだが、大事な時期に第2次世界大戦に巻き込まれ、飢餓と恐怖で練習もできなかったことやバレリーナとしては長身があだになって諦め,ミュージカル出演を契機に女優になる。
そして70年前の1953年「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を受賞し大スターとなるのだが、私生活では2度の離婚後(結婚はしないものの良きパートナはいたが)不幸な子供を救うためユニセフ親善大使として忙しく世界中を駆け回ることに人生をささげるのだが、末期がんになるまで痛みを我慢して活動したため手遅れになってしまう。享年63才、ちょうど今の僕の年齢と同じだ。
オードリー の美貌やスタイルは天性のものだが、愛くるしい演技や不思議な魅力は、失踪した父親そして母親の愛情不足により満たされない心を埋めようと愛に飢えていた幼少期の影の部分の影響があるのではと思う、というかこのドキュメンタリーの核心なのではないだろうか。
やはり、幼少期の環境は人格形成に大きな影響を与える、それをバネにしたから大成したのかもしれないが、親の愛情不足は自己否定、HSPの原因にもなりかねない。
そんな愛情不足の幼少期があったからこそ、出産・育児を契機に絶頂期に家庭を優先し平凡な普通生活を望んで女優をやめたのだし、戦争での飢餓・恐怖を体験したからユニセフの広告塔になりその功績でユニセフは2倍の予算が獲得できたのだが、パパラッチに私生活を盗撮され平穏な生活ができなかったし、ユニセフにのめり込んで命を削ってしまったとは全く気の毒なことだ。
だが、末期がんになって最後のクリスマスにベッド脇で家族や友人に囲まれて人生最高の愛情を確信して生涯を終える。
タフな精神で逆境を乗り越え、人への愛に溢れ、美人で可愛くて、スタイル良くて、ファッションセンスやユーモアセンスも最高で超魅力的な大女優に感動して泣けました。
あらためて、YouTubeで『ローマの休日』を見る。
やはり、白黒映画だけど名作だ!
- アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人
- 最も偉大な女優50選で第3位
- インターナショナル・ベスト・ドレッサーに殿堂入り
- アメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与
オードリー・ヘプバーンの好きだったという言葉
- 魅力的な唇になるために、優しい言葉を話しなさい。
- 愛らしい瞳を持つためには、人の良いところを探しなさい
- スリムな体型のためには、お腹を空かした人に食べ物を分けてあげなさい
- 大人になればきっと自分にも二つの手があることに気づくだろう。 一つは自分を支えるため、もう一つは誰かを助けるため。
オードリー・ヘップバーンのつぶやき
- 威張る男の人って、要するにまだ一流でないってことなのよ
- いわゆる「添付の際に恵まれている」と思ったことはないわ。仕事を心から愛して最善を尽くしただけよ。
- 私のルックスはすぐ真似できるわ、大きなサングラスとノースリーブドレスを着ればね
- バレリーナの基本ルール
- 不平を漏らさない
- 疲れを顔に出さない
- 舞台の前夜は遊びに出かけない
- バレエ教師は、本気で努力すれば必ず成功することを教えてくれたわ。それに、すべては「内面から湧き出なくてはならない」ということもね。
- 私は笑わせてくれる人を私は大事にします。正直,私は笑うことが何よりも好きなんだと思う。悩みがたくさんあっても、笑うことで救われる。それって人間にとって一番大事なことじゃないかしら。
- 「人生について」真剣に考えたりはしないけど、私の人生で「何をするか」は真剣に考えているわ。何としても避けたかったのは、人生を振り返った時「映画しかない」という事態です。
- 母から一つの人生観を与えられました。他者を優先しないのは、恥ずべきこと。自制心を保てないのも、恥ずべき事。
- 過去へさかのぼってみましょう。小さかった時に感じた、小さな幸せを探すの。私たちはみんな成長した子供。だから人は回想し、愛したものや、悟りを探し求めるべきなのです。
- 戦争を経験して、逆境に負けない強靭さが身に付きました。また、戦争が終わって物のありがたみをつくづく感じました。食料、自由、健康、家庭、阻止て何より人の命に、深い感謝の念を抱いたのです。
- 人間のわがままが空を汚し、動物を絶滅に追い込みました。次は子供たちなのでしょうか?
- 私は、ユニセフが子供たちにとってどんな存在なのか、はっきりと証言できます。なぜって、私自身が第2次世界大戦直後に、食べ物や医療の援助を受けた子供の一人だったのですから。
- もし、人々が支援をしていないとすれば、「そうしたくない」からではなく、「支援が必要だ」ということを「知らない」からだと思います。
- 不可能ことなどないわImpossibleという単語の中にI’m possibleと書いてあるでしょう?
- 庭に花や木を植えることは、明日を信じるということです。