お金と人生と幸せのお話
経済コラムニスト大江英樹(1952-2024白血病71才没)、同じく山崎元(1958-2024食道がん65才没)さんのお金と人生と幸せについてのお話。
お二人ともわかりやすい経済お金の話しで興味深く無料でYoutubeやネット記事を読ませていただきました。
お二人に共通するのはお金と幸福のバランス感覚のような気がします。そして、同じ2025/1/1に思いがけない病気で亡くなられております。
アンパンマンのマーチではないですがなんのために生まれてなんのために生きるのかそんなテーマで語られた記事をまとめました。
大江英樹さん
自分が病気になり、一時は死を意識したこともあったが、その時に考えたことは結局、人生の最後に残るのはお金ではなく、思い出しかないんだな。
自身の経験から最低限200万〜300万円くらいの預金があれば、よほど特殊なケースでない限り、それほど心配することはない。
筆者の体験例でもわかるように、やたら病気に対する恐怖でたくさんのお金を貯めこんで、使わないようにする必要はあまりないだろう。
健康なうちに、もう少しお金を使うことを考えてもいいのではないかということだ。実際に自分が病気になってみると、つくづくそう思う。
何に使うかは人それぞれでいい。旅行、趣味、手弁当での奉仕活動、美食等々、要は自分と家族や友達との思い出づくりができればいいのだ。
山崎元さん
自分の価値観はほぼ他人が作った価値観で概念でできていて、他人の評価は自分の幸福感におおいに関係ある。
自己承認感には、他人との比較に陥りやすいし他人との比較を心の中から完全に排除することは難しい。
仲間内で評価されることが人の喜びなのは結構なことだが、仲間内の評価による自己承認感の危うさマインドコントロールに気をつけよ。
たとえば、背徳的であると感じながら組織内での評価を上げるために孤独な老人を狙っただますようなセールスをするビジネスマンなど。
働き方、思想、家族関係、時間の使い方、趣味、恋愛、交友関係、など「他人と同じ」を意識的に避けて対象は何でもいい他人よりも2割増しくらいを目標に自由を拡大してみよう。自由の拡大に勇気を持て。
幸福感はその時に感じるもので何が嬉しくて幸福に感じるのかに気づき言語化しておくと良い。
自分は、何か新しい「いいこと」を思いついて、これを人に伝えて感心された時に自分が嬉しいことに気がついた。小さな功名心のようなものに過ぎない。ショボいと思うだろうか?
しかし、よく考えてみると、仕事のやり甲斐はほぼこれだけのような気がする。そこで、これをキャッチフレーズ的に言語化してみた。
「私のモットーは、1)正しくて、(2)できれば面白いことを、(3)たくさんの人に伝えることです。」
思うに、幸福は、人生の全体を評価して採点して通算成績に対して感じるようなものではなくて、日常の折々に感じるものだから日常の一日一日、一時一時を大切にしよう。
「息子よ…」経済評論家・山崎元が遺作で伝えた「2割増し」自由とは?
どうでしょう?
老結局お金の心配は長生きするリスクの問題とも言えないでしょうか。
働けるうちは心配ないが、どんなに食事や運動に生活習慣に気をつけても突然がんとか脳卒中とか認知症とかなってしまうことは年をとればかなりの確率です。
その時大きな不安が押し寄せる。一つは今後病気がどうなるかともう一つはお金がどれくらい必要になるか。
収入と支出が把握できていないから予測ができず不安になる。
毎月確実に出ていくお金は、住居費、光熱水費、食費、税金などの固定経費で入ってくるお金は年金だから、年金で固定経費を賄うような生活をすればなんとか生きてはいけそう。
病気になった時の医療費や介護費はどうなるかをシュミレーションすると最低限200万〜300万円くらいの預金があれば、よほど特殊なケースでない限り、それほど心配することはないらしい。21,000円/月以上の自己負担額があれば高額医療費制度で自己負担上限額が57,600円(年収が320万以下)で済む。
老人ホームでお世話になるとすると、岐阜県の中央値が月額12.3万円かかる。自分が住んでいない家の維持の経費も考えないといけないが住んでる人に負担してもらうしかない。住む人がいなければ相続してもらうなり売却を考える。
家族に迷惑かけないように、長く働く、公的年金、投資・資産と自由に生きるバランスを考えないといけませんが、まずは今日の幸福感を得るために日々頑張っております。
自分の幸福感を言語化すると
こんな拙いコラムを書いて誰かに読んでもらって仲間内で評価されること。
ソロキャンプ、やってみたかったことをやれた達成感。
松本市内で3000円の蕎麦ランチを贅沢して食べたこと。