佐川美術館を観てきた
佐川急便創業40周年記念で1998年に建てられた美術館は建物自体もデザインで数々受賞するしゃれたもので広々かつスッキリとしたものである。
展示作品は日本画、彫刻、陶器で全体的に暗い照明も相まって重く暗い感じがします。
日本画というジャンルは明治時代に洋画に対してできたもので、明治以降にできたものそれ以前の日本画は大和絵とか唐絵に区別されるされるようです。西洋画と違うのは紙や絹に、墨、岩絵具、水干、胡粉、染料……などの天然絵具を用い、膠(にかわ)を接着材として描く技法が用いられています。その黎明期に活躍したのが岡倉天心、横山大観などで大和絵とはどこか違い西洋画の技術を取り入れた大和絵のような気がします。
広々として天井が高いエントランスには彫刻が一つ空間の広さを感じさせます。
目次
まずは企画展の高山辰雄(1912-2007、95歳没)の日本画を観る。
右側に繋がる展示室が企画展示室で、今回は高山辰雄の展示会でした。 美術に造詣が深いわけでもなくこの画家の存在も初めて知り作品を先入観なしに観たのですが人物画浮き上がって見えたのは私だけのでしょうか。斜め横から観ると浮き上がっては見えないのです。
絵画というのは、作者が感じたイメージを表現しているわけですから、作者が見る世界観を感じることが重要なことだと思うのです。
それは絵に限らず歌手・俳優・声優なども同じ だと思います。上手なだけではなかなか売れません。人を惹きつける言葉で表現できないものをもっていてそれをプロモーションする営業努力も必要なんだと思います。
話が変な方向にそれてしまいましたが、展示室内での撮影・おしゃべりは禁止、BGMも流れていませんでしたので静でした。紹介した絵の写真はホームページ等から拝借したものです。
「聖家族」シリーズの1作。
高山辰雄はゴーギャンの生き方に強く感銘を受け、彼の作風に傾倒したそうです。
ゴーギャンはフランス人で本職は株取引、趣味で始めた絵はタヒチ島で自然な形態、明確な輪郭、平坦な色面を使う絵画様式を確立しました。
病を抱え、最愛の娘を亡くし悲しみに打ちひしがれ、人生に絶望しながら作り上げたゴーギャンの最高傑作が下の絵です。
『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々は、どこへ行くのか』
絵は言葉では伝えられないものを伝えられような気がします。
人の怒りや苦悩や悲しみが芸術の原動力だとすると芸術家に幸せな人はいないということでしょうか。だれもが持つ怒りや苦悩や悲しみなどのストレスを絵に描くことで発散しているのでしょうか。
高山辰雄の「聖家族」を観てみるとはっきりした輪郭と真ん中の三人の顔が白く浮き上がってこちらを見ているような気がします。
作品の背景や意図はわかりませんが不安げな暗い家族のように感じました。家族を守ろうと警戒しているのか、何かに怯えているのか、いろんなイメージが出てきますが家族の絆を感じます。解釈は人それぞれでいいんですよね。
日本画家の平山郁夫(1930-2009、79歳没)
15歳で広島で原爆を被ばく悲惨な体験が仏教とシルクロード連作に繋がったようです。
この作品が佐川美術館にあったかどうかはわかりませんが、明るく輝く月の下ラクダの隊商が砂漠のシルクロードを行進する絵はたくさんありました。
幻想的で静寂な感じがします。家に飾るなら高山辰雄より平山郁夫の方がいいですよね。
彫刻家の佐藤忠良(1912-2011、98歳)
終戦後のシベリアでの抑留生活を経て帰還後に制作を再開。その体験から、平凡なごく普通の日常生活の中でほんの一瞬だけ垣間見る「人間の美」を追求した作品。
彫刻だけでなく、絵本の挿絵も画いているようで作者の人柄もなんとなくわかるような気がします。
「隣の人への労りのない芸術は嘘だ」
「どんな人になるのが大切か。創作の時間がそれを教えてくれる」と常日頃から語っていた佐藤。そこには過酷なシベリア抑留体験が深く関わっていた。
実直に生きる人間を愛し、生涯休むことなく制作を続けた作品です
陶芸家の樂直入(1949-)
黒を基調とした陶磁器の展示室は地下にあり全体が暗い。その中でスポットライトに照らされた陶器が黒光りしている。釉薬も厚塗りなのだろうか照かってみえる。
樂直入(十五代吉左衛門)は、桃山時代に始まった樂焼の伝統を継承する陶芸家で樂の屋号は豊臣秀吉由来であり現在16代目が継いでいる。
楽焼はろくろを使わず手とへらだけで成形後750℃ – 1,200℃で焼成した軟質施釉陶器で手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴。
黒焼きは、黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し、乾いたらまた釉薬をかけるといったことを十数回繰り返してから1000℃程度で焼成する。焼成中に釉薬が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷することで、黒く変色する。
十数回繰り返して釉薬をかけるわけだからあんなに照かって見えるわけだ。
初代の瓦職人が千利休の指導を受けて開発した茶碗が原点なんだろう。
飲み口が微妙に歪んでいるのでたぶん飲みにくいだろうが、飾ってみる茶碗だから関係ないかな、やっぱりデザイン優先。
何百万もする茶碗で抹茶をいただくことなんか多分ないだろう。
陶器を見終わり地下から1階へ上がる吹き抜けのフロアのデザインがおしゃれ!
何も置いてないやや薄暗い吹き抜けのフロアに天井のスリットから天然の光が差し込む。
静かな海底にいるような感じ。この空間に芸術的なものを感じ、同行者に無表情で立ってとお願いして写真を撮る。
ひさびさの芸術鑑賞して、何か画きたくなってしまいました。
ミュージアムショップに水彩毛筆が売っていたので試しに紺色のあかしや水彩毛筆買ってしまいました。
芸術は仕事なのか、遊びなのかと考えてしまいますが、仕事として成り立つのは格別な才能と人を惹きつける魅力のある人だけ、凡人は遊びで暇をつぶすツールと考えた方が良さそうです。